約1年ブログを休んでる間に、なんだかんだで結婚したのはナント45歳年上の80代。
正直、周囲の人が心配して世話をやきに来てくれるくらい危ない状態だった彼が短期間で劇的復活をとげた奇跡の記録です。
夫の状態とちょっとなれそめ

以前からの知り合いで仲良くしていた彼が一昨年(平成30年)くらいから急に元気がなくなり、大好きだったゴルフもやめ、物忘れもかなりあったし、足の痛みのせいで短距離の歩行も困難な状態になっていました。
「もし明日、自分が死んでいたら…」と一人暮らしの不安を口にし、少し鬱っぽくなっていた様にも感じました。
そんな彼が心配で、会社帰りにちょくちょく立ち寄る様になった冬のある日。
一緒にアルバムを見ていた彼が、急にフッと意識を失ってグッタリするのを目の当たりにし、慌てて救急車を呼ぶという事態に!
まさかの吊り橋効果!? この日を境に私は毎日彼の家に通い、「今日も無事に過ごせた」という安心感を二人で共有し、お互いが必要とし合う関係になっていきました。
これが私達の恋愛のカタチであり結婚に至った訳で、結婚してからの彼にすごい変化が表れてきたのです。
結婚前は「認知機能障害」「歩行障害」「睡眠障害」「日中の傾眠」「うつ」といった高齢者が気になる症状の詰合せでした。
それが結婚後7ヶ月の現在では、ほぼ問題なく日常生活を過ごしオマケにスポーツジムに通うまで回復しています。
夫が陥っていた負のスパイラル

夫本人と心配してくれた第三者により構築されていた状態です。
客観的に見て全く症状の改善がないどころか、より酷くなってる様に思いました。
何ヶ月も病院に通い、薬を飲んで何も変わっていないのに当事者達は疑問とも感じず治療を続けて、この先も続けるのが当たり前。お医者さんの言う通りにしていれば大丈夫という感じでした。
病気を一つひとつ見直す
「てんかん」と診断されてしまったのは少なからず私のせいでもあり、抗てんかん薬の効果及び副作用は夫にとって一番深刻な問題でした。
結婚前、意識不明で救急車を呼んだ一件の後、心配した第三者が大きな病院での検査を勧め、その時に診断されたものです。
ただ、この時検査に行ったのは「意識を失っていた夫」と「その場にいなかった第三者」。
当時のことを正しく医師に伝えられずに診断されていたのです。
今までの夫の様子・倒れた時の状態から「てんかん」ではないんじゃないか? と強く疑いました。
とは言え私も医師ではないので、別の脳神経内科でその時の状態を詳しく伝えて再検査してもらうと、結果は「てんかん」ではなく「脳貧血」だったのですがその原因は「レビー小体型認知症」かもしれないと言うのです…。

医師が指摘した足の痛みについても、「少し歩くと痺れと痛みで動けなくなり、少し休むとまた歩ける」という特徴を説明したのですが、首をかしげて「パーキンソン症状は色んな症状があるから…」と言い、レビー小体型認知症の薬物治療を勧めてきました。
物忘れはあるけれど、興味のあることや自分にとって大切な約束、知っているものの名前を忘れることはないのに。レビー小体型認知症の特徴が書かれた用紙を手に説明されても私は「夫はどの症状も当てはまらないナ」と考えていました。
治療を勧める医師に「もう一つ、整形外科のほうで思い当たる事があるので治療はその結果の後にしたいと思います」と言い治療を保留にして帰りました。

正解は整形外科だった!?

介護福祉士歴10年の妹が強く勧めた整形外科でMRI・レントゲン・血管年齢検査と症状の特徴から、「脊柱管狭窄症」の可能性が強いとのことでした。
症状の特徴も夫の状態とよく似ているし、検査結果に基づく説明も納得できるものでした。「病気の見直し」を始めて4ヶ月、やっと信頼できる医師が見つかったのです。
薬物治療を始めて1ヶ月が経つ頃には足の痺れと痛みが和らぎ、今までとは比べものにならない程の距離を歩けるようになりました。
歩数で言えば、1日600歩くらいしか歩けなかったのが3500~4000歩も歩けるように!
そして歩けるようになったことで考え方がすごくポジティブになりました。
認知機能と睡眠障害にも変化が!!

抗てんかん薬と抗パーキンソン剤をやめ、足の痛みも治まった夫は昼間の眠気に襲われることもなくなり、自発的に散歩に行ったり家の手入れをしたりするようになりました。
夫は本来とても男気があって「俺の嫁は俺が守る!」といった考えの人なので、その想いが生きる糧となり衰えた肉体を鍛え直そうとする意思になりました。
倒れてから1年後の2019年12月、寒くなって散歩に行きにくくなった頃「スポーツジムなら寒くない所で運動できるよ」私の提案に快く乗っかってくれた夫は、今や週3日のペースでジムに通っています。
嫁を守らなければ! という責任感からか、認知機能も大幅に回復しました。
かつては歯ブラシばかりを大量に買っていたり、冷凍庫にお皿をしまったりしていた夫が、今では買物をしている時に「冷蔵庫にタマゴが2個しかなかったから買おう」などとアドバイスしてくれるくらいですよ。
私を守ろうとする責任感から「もはや死んでる場合じゃない!!」と生きる気力に溢れ、日中も意欲的に活動するようになったことで鬱っぽさもなくなり、精神安定剤の量もだんだんと減っていき薬がなくても眠れるようになりました。
生き甲斐は生命力の源

夫が「私との生活そのものを生き甲斐」として日々過ごしていることに、私は深い愛情を感じます。
だからいくら夫が後期高齢者と言われる年齢でも、頼もしくて尊敬できる存在であるし、そんな夫を支えていきたいと私は思っています。
年の近い夫婦と同じように、頼り頼られお互いに必要とし合って過ごす日常を1番の生き甲斐に、夫は数々の病気や症状を克服し元気を取り戻してくれました。
明日に死の不安を抱くのではなく、カレンダーに書いた明日の予定を心待ちにしている夫を、高齢者ではなく「ただただ男性であり、私の夫」だと感じるのです。
「生き甲斐」とは高齢者はもちろん、人が生きていく中でとても大きな存在なんだと改めて思い知らされました。
まとめ

○患者は医者を選ぶ権利がある。医者も自分の専門分野以外は微妙だから見極めて! (←妹談)
症状の改善がない・疑問を感じる・違和感を覚えることがあったら追及すべきとだと思います。医者でも専門家でもない自分が疑うなんて、よっぽど見当違いな治療をしているのかもしれません。
○70だ?80だ? 104歳の姉さんから見たらまだまだヒヨコだ! (←夫談)
80代の夫は、命をかけて私を守るそうです。いくら年をとっても、やはり人はその人らしくあるべき。
自分だけは、自分を諦めたり遠慮したりしないで生きざまを貫いてほしいです。
○生き甲斐を見失うと死が見えるらしい…
逆に生き甲斐があると世界が輝いているんだって! 歳だからと蓋をせずに、億劫にならずに今、頭をよぎった「それ!」をまずやってみてください。

おじいちゃんが喫茶店へナンパしに行ってもいいんじゃない?
私と夫がこんな風になった様に、世の中は何が起こるか解らない。たぶん、強く強く粘ったもん勝ちなのかもしれませんよ。
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